子宮内膜のゲノム解析がもたらすブレイクスルー

~不妊症から癌まで様々な婦人科疾患に対する画期的な予防法開発につながる内膜ゲノム異常の新知見~ 新潟大学大学院医歯学総合研究科産科婦人科学分野の榎本隆之教授、

吉原弘祐講師、 須田一暁助教、 同大学医歯学総合病院総合周産期母子医療センターの山口真奈子特任助教、 佐々木研究所腫瘍ゲノム研究部の中岡博史部長、

情報・システム研究機構国立遺伝学研究所人類遺伝研究室の井ノ上逸朗教授らの研究グループは、

正常子宮内膜腺管の癌関連遺伝子変異が加齢や累積月経回数に伴って蓄積していること、 癌関連遺伝子変異には強い自然選択圧がかかっており、

同じ変異を有する腺管群が子宮内膜内でクラスターを形成していることを発見しました。 また、 世界で初めて子宮内膜の3次元構造解析とゲノム解析結果を統合し、

基底層の地下茎構造と地下茎から連続して立ち上がる機能層の腺管群は全て同じ遺伝子変異プロファイルを有する集団であることを発見し、

遺伝子変異が子宮内膜で広がっていくメカニズムを解明しました。 本研究結果は、 2022年2月17日午前10時(英国時間)、 Springer

Nature社の科学雑誌Nature Communicationsに掲載されました。 本研究グループは、

これまでに正常な子宮内膜で癌に関連する遺伝子が既に変異を起こしていることを世界で初めて明らかにしていました(Cell Reports. 2018年8月16日)。

また、 人体組織学が確立された19世紀以降、 子宮内膜腺は髪の毛のように一本一本が独立していると考えられていましたが、

子宮内膜の3次元構造解析によって子宮内膜は基底層で地下茎によって繋がっていることを明らかにしていました(iScience. 2021年3月16日)。 今回、

本研究グループは、 月経によって剥離再生を繰り返す子宮内膜で癌関連遺伝子変異が維持されるメカニズムを解明するため、

ヒト正常子宮内膜腺管の大規模なゲノム解析と3次元構造解析を統合した新しい手法の解析を行いました。 それによって、

月経時に剥がれない子宮内膜基底層の内膜腺管の地下茎構造内に癌関連遺伝子変異が蓄積し、 地下茎を介して子宮内で領域を広げていくことを明らかにしました。

一見正常にみえる子宮内膜に癌関連遺伝子異常が蓄積する現象は、 子宮内膜が関係するすべての病態の根幹の現象である可能性が高く、

将来の子宮体癌の発症母地になるだけでなく、 月経困難症や不妊症を引き起こす子宮内膜症の原因、 さらには受精卵の着床障害の原因になることが推定されます。

I.研究の背景

ヒトの子宮内膜は月経によって毎月剥離・再生を繰り返すユニークな組織です。 子宮内膜を構成している腺管上皮は子宮内膜関連疾患(子宮内膜症、 子宮腺筋症、

不妊症の一部)や子宮体癌の発生母地であり、 子宮内膜腺管の異常は女性の生涯にわたって影響を及ぼします。 本研究グループは先行研究(Cell Reports.

2018年8月16日)で病理学的に「正常」な子宮内膜腺管組織に多種多様な癌関連遺伝子変異があること、

腺管1本は同じ遺伝子を持った細胞から構成されるモノクローナルな構造*1であることを明らかにしましたが、 変異が加齢や月経の繰り返しによって蓄積するのか、

変異を持った腺管が子宮内膜の中でどのように分布するのかについては不明でした。 また、 本研究グループは別の先行研究(iScience.

2021年3月16日)でヒト子宮内膜の3次元構造を観察し、

腺管が基底層(月経の時に剥離せずに残存する部分)で網目のような“地下茎”構造を有することを突き止めましたが、

この地下茎構造と遺伝子変異がどのように関わるのかはわかっていませんでした。

II.研究の概要

本研究グループは、 子宮内膜に異常のない婦人科疾患(子宮筋腫・卵巣嚢腫など)のために手術を受けた方より研究参加の同意を頂き、

子宮内膜組織を採取して腺管を1本1本に分離し、 腺管毎に遺伝子を調べました。 本研究では以下の3つの解析を行っています。

1.腺管の癌関連遺伝子変異が加齢や累積月経回数に伴って蓄積するのかを調べるために、 21-53歳の女性32名より採取した891本の腺管の遺伝子を解析しました。

2.遺伝子変異を持った腺管が、 子宮内膜でどのように分布するのかを調べるために、

子宮摘出手術を受けた4名の女性(38-50歳)の子宮内膜を2.5-5mm四方に区域分けし、 区域ごとに3-20本の腺管を採取して、

腺管の位置情報を加味した上での遺伝子解析を行いました。

3.腺管の3次元構造と遺伝子変異の関わりを調べるために、 40歳代女性の摘出子宮の子宮内膜から連続病理切片を作成し、

腺管の地下茎構造と地下茎から分岐する腺管の連続性を確認したうえで、

レーザーマイクロダイセクション*2によってそれぞれの腺管上皮を採取して遺伝子解析を行いました。

III.研究の成果

1.正常内膜腺管891本のゲノム解析を行った結果、 半数以上の腺管が何らかの癌関連遺伝子変異を有しており、 中でも、 既報でも報告されていたPIK3CAや

KRAS変異*3を有する腺管がそれぞれ15.6%, 10.9%の頻度で見つかりました(図1A)。 腺管が有する遺伝子変異の量は、

年齢や累積の月経回数に伴って増えることがわかりました(図1B)。 また、 遺伝子変異の種類に着目して解析を行ったところ、

婦人科癌に関連する遺伝子変異に特に強い自然選択圧がかかっており、 その遺伝子変異が腺管の生存に有利に働いている可能性があることがわかりました(図1C)。

[https://prtimes.jp/i/91743/2/resize/d91743-2-0bcb644451bb9bd5074c-0.jpg&s3=91743-2-422280a8cc5b41e3f01752ecfe41fb80-800×450.jpg]

図1.正常子宮内膜腺管891本の遺伝子解析結果

A. 縦軸が891本の個々の腺管を示し、 変異を認めた遺伝子に該当する部位が色塗りされています。 遺伝子変異は頻度の多かった順に並んでいます。PIK3CAや

KRASの変異頻度が高いことがわかります。 色の種類が遺伝子変異の種類を示し、 色の濃さが変異アリル頻度 (MAF)*4を示しています。

変異アリル頻度は0.5に近いものが多く、 腺管がモノクローナルであることを示しています。

B. 遺伝子変異量が年齢や累積月経回数に相関して増加していることがわかります。

C. dN/dS ratio(非同義置換率/同義置換率比)*5の解析結果。 ミスセンス変異・ナンセンス変異共に、 婦人科癌に関連する遺伝子のdN/dS

ratioが高く、 強い正の選択圧を受けていることがわかります。 ※全て: 解析を行った全ての遺伝子、 癌関連: Cancer Gene

Censusに登録されている癌関連遺伝子、 婦人科癌: 婦人科癌に関連する遺伝子、 その他: 癌関連遺伝子以外の遺伝子。

2.それでは、 生存に有利な変異を獲得した腺管は、 子宮内膜の中でどのように分布しているのでしょうか。 それを確認するため、 摘出した子宮の内膜を区域分けし、

区域ごとに腺管を分離して腺管の位置情報を加味したゲノム解析を行いました(図2A)。 その結果、 同じ起源の遺伝子変異を持つ複数の腺管が、

隣接する区域にまたがって分布し、 クラスターを形成していることがわかりました(図2B)。[https://prtimes.jp/i/91743/2/resize/d91743-2-a89d6dee028c38bd5f9f-1.jpg&s3=91743-2-c671aa1badaffe9c47a13789830bd577-700×351.jpg]

図2. 区域分けした子宮内膜の遺伝子解析結果

A. 摘出した子宮の内膜を24区画に分け、 1区画から5ずつ腺管を採取して遺伝子解析を行いました。

B. 同じ色で塗られた区域は、 複数の共通する遺伝子変異をもつ腺管が見つかった区域で、 それぞれクラスターを形成しています。

3.しかしながら、 子宮内膜は月経のたびに剥がれ落ちる組織であり、 どうやって腺管はそのクラスターの領域を拡大していくのでしょうか。 その謎を解明するために、

本研究グループは子宮内膜腺管の3次元構造に着目しました。 本研究グループは、 先行研究で子宮内膜の3次元撮影に成功し、

月経の際に剥がれ落ちずに残る基底層の腺管に網目のような地下茎構造があることを突き止めています(図3)。

[https://prtimes.jp/i/91743/2/resize/d91743-2-0e3ed73400088100e2ff-2.jpg&s3=91743-2-74c7761747a391321ebe84a00b030abc-840×398.jpg]

図3. 子宮内膜の3D像

赤色で示した腺管は全て繋がっています。 子宮内膜の基底層(筋層に近い部分)に水平方向に網目状に走る腺管(地下茎)が存在し、

複数の腺管が地下茎から連続して立ち上がり、 表層に開口している様子がわかります。

今回、 本研究グループはこの地下茎を介して腺管が領域を拡大しているのではないかと考え、

地下茎とそこから連続して立ち上がる腺管を別々に採取してゲノム解析を行いました。 その結果、

同じ地下茎を共有する腺管群はすべて同じ遺伝子変異プロファイルを有するモノクローナルな集団であることが明らかとなりました(図4)。

子宮内膜腺管の3次元的な連続性と、 遺伝子変異プロファイルが完全に一致しており、

地下茎が変異を有する腺管の領域拡大に重要な役割を果たしていることがわかりました。

[https://prtimes.jp/i/91743/2/resize/d91743-2-f43139a7d81f3e49a35f-3.jpg&s3=91743-2-08ef3af6d568f696dd72986858ab9a37-800×450.jpg]

図4. 腺管の3次元構造を加味した遺伝子解析結果

A. サンプリングした腺管の模式図。 地下茎Aと、 それに連続する腺管1.~6.、 地下茎Bと、 それに連続する腺管7.~10.、

地下茎A・Bどちらからも独立した腺管11.をそれぞれレーザーマイクロダイセクションでサンプリングし、 全ゲノム解析を行いました。

B. 全ゲノム解析結果。 縦軸は個々の腺管を示し、 横軸は遺伝子変異を示しています。 地下茎Aと腺管1.~6.は多くの遺伝子変異が共通していることがわかります。

同様に、 地下茎Bと腺管7.~10.も多くの共通する遺伝子変異を持っています。 MAF値は多くの変異で高い値を示しており、 地下茎と、

地下茎から連続する腺管は同じ遺伝子変異プロファイルを有するモノクローナルな集団であることがわかります。 一方、 地下茎A・Bどちらにも連続しない腺管11.は、

遺伝子変異プロファイルも独立しています。

IV.今後の展開

女性の社会進出による晩婚化や少子化により、 現代女性の生涯に経験する月経回数は100年前の10倍と言われています。 月経回数の増加に伴って、

不妊症を引き起こす子宮内膜症などの子宮内膜関連疾患に悩む女性が増えており、 女性ヘルスケアにおける大きな問題となっています。 本研究によって、

正常子宮内膜で癌関連遺伝子変異が加齢や月経回数の積み重ねによって蓄積し、 変異腺管が子宮内で領域を拡大するメカニズムの一端が明らかになりました。 今回の発見は、

今後、 癌関連遺伝子変異を持つ正常な内膜に、 どのような因子が加わることで子宮内膜症や子宮体癌を発症するのか、

ホルモン治療によって癌関連遺伝子の蓄積や広がりは軽減されるのかといった疑問を解明するための大きなヒントになっています。 将来、

女性にとって最適な月経のコントロール方法を提案し、 不妊症や子宮体癌の効果的な予防法を確立することで女性の生活の質の向上に貢献できると期待されています。

V.研究成果の公表

これらの研究成果は、 2022年2月17日午前10時(英国時間)、Nature Communications誌に掲載されました。

論文タイトル:Spatiotemporal dynamics of clonal selection and diversification in normal

endometrial epithelium

著者:Manako Yamaguchi, Hirofumi Nakaoka, Kazuaki Suda, Kosuke Yoshihara, Tatsuya

Ishiguro, Nozomi Yachida, Kyota Saito, Haruka Ueda, Kentaro Sugino, Yutaro Mori,

Kaoru Yamawaki, Ryo Tamura, Sundaramoorthy Revathidevi, Teiichi Motoyama, Kazuki

Tainaka, Roel G. W. Verhaak, Ituro Inoue, Takayuki Enomoto

DOI:10.1038/s41467-022-28568-2

【用語解説】

*1 モノクローナルな構造

その構造を構成する細胞が、 全て単一の祖先細胞からなる、 同じ遺伝子を持った細胞の集団であるという意味です。

*2 レーザーマイクロダイセクション

顕微鏡を観察しながら、 組織標本にレーザーを照射して必要な部位を切り取り、 回収する方法です。 この手法を用いることで、

手術で摘出された標本から正常子宮内膜腺管だけを切り出し、 回収することができます。

*3 PIK3CA遺伝子・KRAS遺伝子

PIK3CA遺伝子やKRAS遺伝子は、 細胞の増殖などに関わるタンパク質を作っています。PIK3CA遺伝子やKRAS遺伝子が変異すると、

必要のないときにも細胞が増殖し、 癌が発生しやすくなると考えられています。 子宮内膜腺管の癌である子宮体癌でも、PIK3CA遺伝子やKRAS

遺伝子に変異が認められることが知られています。

*4変異アリル頻度(MAF)

遺伝子変異解析においては、 一つの遺伝子座(locus)に位置するアリル(allele)のうち野生型アリルと異なる塩基配列を持つものを変異アリルと呼び、

解析対象における変異アリルの割合を変異アリル頻度といいます。

変異アリル頻度が0.5以上であれば検体に含まれる全ての細胞が遺伝子変異をもつこと(モノクローナル)を意味しています。

*5 dN/dS ratio(非同義置換率/同義置換率比)

自然選択の強さを表す指標です。

dN/dS > 1 遺伝子に正の自然選択圧がかかっている。

(生存に有利な変異。 集団に固定される) dN/dS = 1 遺伝子には自然選択圧はかかっていない。

(中立な変異) dN/dS < 1 遺伝子に負の自然選択圧がかかっている。

(生存に不利な変異。 淘汰されて集団から除去される)

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