マックス「心のホッチキス・ストーリー」 第13回の入賞作品を決定

~大賞は、おさがりの浴衣に受け継がれる想いへの気づきを描いた作品に~ マックス株式会社は、 第13回 マックス「心のホッチキス・ストーリー」と題し、

“あなたが今、 心にホッチキスしたいこと”をテーマに、 ショートストーリーを募集しました。

2022年8月1日(月)から2022年9月30日(金)までの募集期間で、 全国から10,107件の応募がありました。

厳正な選考の結果、 受賞作品を以下の通り決定しましたのでご報告いたします。

なお、 受賞作品は、 当社WEBサイト上(https://www.max-ltd.co.jp/about/cocoro_story/

* 応募作品の傾向

国内外のスポーツイベントで盛り上がりを見せる一方、不透明な世界情勢や経済動向による不安が続き、今過ごす時間や日常生活の大切さについて考える時間が増えた一年となりました。

応募作品には、身近な人に対する想いや自分がたくさんの人に支えられていることに気が付くなど、様々な人への感謝の気持ちが伝わってくる作品が多く寄せられました。

「マックス・心のホッチキス大賞」には、久しぶりの花火大会の開催で新しい浴衣を買おうとした時に、母の古い浴衣を着るように言われてがっかりしたが、“おさがり”に受け継がれる大切な想いに気づいて、感謝の気持ちと誇らしさを持つに至る心の動きを表現した作品を選定しました。

「マックス・U-18大賞」には、普段あまり話をしない父が毎日作ってくれる手作りにこだわったお弁当は、実は自分のための特別メニューであることを母から聞かされ、父に感謝の言葉を伝えるまでの気持ちを綴った作品など3点が、「マックス賞」には、懸命に働く母に心ない言葉を放ってしまった出来事を反省し、今では尊敬する母に弟子入りして同じ職人の道を歩むことを綴った作品など5点が入賞しました。

引き続き、マックス「心のホッチキス・ストーリー」を通じて、みなさまが大切な瞬間を振り返り、日常生活の中にある小さな幸せに気付く手助けになれれば幸いです。

* 入賞作品

マックス・心のホッチキス大賞

<大阪府> ひまち さん (14歳)

「今年な、花火大会あるんやって!」コロナ禍でのその言葉は、私を二ヶ月前から奮い立たせるほどの効き目があった。「浴衣着たいから買ってよ。」と母に早速お願いした。「浴衣やったら私のがあるで、それ着ていきなさい。ひいおばあちゃんも、おばあちゃんも着たんやで。」買おうと思う浴衣まで決めていた私にとって、古くて好みの柄でもない浴衣は受け入れられず、母と私は浴衣買うかをめぐって冷戦状態に陥った。

夏休みの帰省中、祖母が私に「これ絶対似合うわ。持って帰りね。」と母が中学生の頃着ていたという服を渡してきた。浴衣のことでなぜ母がおれないのか気になっていた私は、「おばあちゃんもそうやけど、なんでそんなにおさがり渡してくるん。古いのじゃなくて新しいのがいいんやけど。」と言ってみた。祖母はこんな話をしてくれた。「おさがりってな、ええもんやねんで。長くもってるってことやから。可愛いもんも、新しいもんもええもんやけど、一番長持ちするのがいっちばんええもんやと思うねん。

大事にされてきたし、大切な想いがこめられてる証拠やからねぇ、そういう想いも一緒に受け継いでいくのがおさがりやから、着てほしい人に渡すんやで。」私はいてもたってもいられなくなって急いで母に電話した。「浴衣、お母さんのにするから!」「いきなりなんなん…?」驚いていたけど、私の気持ちが伝わったようで嬉しそうだった。

花火大会当日、着付けをしてくれた母に向かって「ありがとう!行って

きます!」と言って家を出た。今日私はお母さんや、おばあちゃんや、ひいおばあちゃんの大切な想いを着て花火大会に行くんだと言葉にならない誇らしさで胸が高鳴った。

おさがりって一番気持ちの込められたプレゼントかもしれない。四世代目に渡った浴衣のリレーはきっとこれからも続いていく。

マックス・U-18大賞 高校生の部

<東京都> 奥野 愛弓 さん (18歳)

私のお地蔵さん。彼は、私の幼稚園から今まで14年間変わ

らない通学路にいる。幼稚園生のときは挨拶するだけだったが、小学生になると私は不安なことや大きなイベントがあると彼にお祈りするようになった。

小学校低学年の時、友達とけんかをした次の日の朝、「ちゃんと『ごめん

ね』が言えますように」と祈ってから学校に行き、帰り道に「仲直りできたよ、ありがとう。」と軽くお礼をした。高学年になると、大して勉強していないのに「テストで良い点とりたい。」と祈り、「全然ダメだったんだけど。」

と八つ当たりをした。中学生では、家にあったみかんを大量にお供えしようとして母に止められた。

いつも彼は見守ってくれていた。彼だけでない。家族も友達も先生も 私を見守り陰で支えてくれていた。なので今度は私が誰かを見守り、誰かの支えになりたい。

明日、こっそり桃をもっていって言おう。ありがとう。大好きだよ。私のお地蔵さん。

マックス・U-18大賞 中学生の部

<静岡県> 後藤 梨乃 さん (14歳)

私の家は、共働きをしている。私は電車で通っているため、

仕事が早い母が私を送って、父が私の弁当を作ってくれている。私はあまり父と話をしない。なんとなく面倒くさいのと、なんかとにかく嫌なのだ。だから、このお弁当の件だけが唯一の会話といっても

いいだろう。ある日、母に「毎日っていうのはね、すごく大変なの。なのに、手作りにこだわっているのよね。」と言われた。そう、私のお弁当は、冷凍チンではない。手作りだ。その日、そういわれた私は、いつも以上にお弁当がおいしく感じた。その日の夜、いつものように「明日のお弁当何がいい?」と聞かれた私は、少し迷ったけれど、「いつもおいしいよ、ありがとう。」と言ってみた。その時の父の顔は、にやにやしてやっぱり言わなきゃよかったと思ったけれど、私も笑ってしまった。今日も私のお昼は父が作る弁当だ。世界に一つしかない、私用の特別メニューなのだ。

マックス・U-18大賞 小学生以下の部

<大阪府> 中俣 晃弘 さん (10歳)

「小さいな。こわれちゃいそうだな。」

これはぼくが、はじめてキミと出会った時に思った事です。

小さな手、細い足、早い心ぞうの音。とってもとっても軽か

った。でも、だっこする、ぼくのうでは、とても力が入ってまるで、きん肉痛のようになってしまいました。

そんな出会いから2年がたちました。

キミとぼくは、話しをしたり、いっしょに遊んだり、お出かけのときは、手をつないで歩けるようになったね。体重も生まれた時の4倍になりました。キミをずっとだっこすると、本当のきん肉痛になっちゃうくらい大きくなったね。

でも、その重さがとってもうれしいよ。8さいもはなれたぼくの小さな弟がぼくは、とってもとても大切なんだ。「にいに。」とはじめてよんでくれた日は、ぜったいに一生わすれないよ。ぼくの小さな弟は、ぼくにとって、世界一の大きな宝物です。

マックス賞

・ 京都府 あひる さん (32歳)

・ 大阪府 室賀 冬之介 さん (56歳)

・ 北海道 ハル さん (24歳)

・ 京都府 おとは さん (8歳)

・ 新潟県 めんつゆ さん (17歳)

<京都府> あひる さん (32歳)

母親が50代で再婚し、父ができました。どうしても他人行儀になってしまい、なかなか距離を縮める事ができず、お父さんとなかなか呼べずにいました。でも、母の事は

もちろん、私が困っているときに助けてくれて、本当の家族のように大切にしてくれていました。 そんな感謝の気持ちは言えても、照れもあり、やはりお父さんと呼べず。

そんな中、夏に私の結婚が決まり、結婚式を挙げる事になりました。 私はサプライズとして両親への歌をつくり、「この歌を借りて、初めて呼ぶよ。

いつもありがとう、お父さん」という歌詞をいれました。 どんな顔して聴いてくれるんだろう、とドキドキしながら迎えた当日。

披露宴で流れ始めた歌と映像を見ながら、父の様子をチラチラとうかがっていました。

そして、ちょうどその歌詞が流れた時、父は見た事がないくらい顔をくしゃくしゃにして号泣していたのです。 それを見て、私も涙が止まりませんでした。

本当の家族になれた、心が通じ合った、そんな気がした瞬間でした。 一生忘れられない大切な時間になりました。

<大阪府> 室賀 冬之介 さん (56歳)

私は協調性がある…というか、優柔不断である。

ある夜も、リビングでああでもないこうでもないと悩んでいると、ドラマを見ていた高校生の娘が何?と振り向い た。

話を聞いた娘は

「ほな、あみだくじ作ったげる」

と紙に線を引き始める。

いや、くじなんて…と言うと

「悩むってことは、同じくらいええってことやろ、くじで

いいやん」

紙の下半分を折り曲げ、私の前に置いた。

煮詰まっていた私は、神頼みもいいか、と右側の線に〇を書いた。下半分を開けるとAと書いてある。

「おぅ。やっぱりこっちか」

娘は「良かったね」とテレビに戻った。

「ちょっと待って。このくじ、どっちもA案になってる」

二本の線の先はどちらも「A」である。

「だって、Aの方が良さそうやったから。決断できて良かったね」

娘は可笑しそうに、またドラマを見始めた。

私は確かにAでほっとしていた。

シンプルに考え、少し自信を持つ事こそが必要だったのだ。

<北海道> ハル さん (24歳)

「お母さん、恥ずかしいから参観日に来ないで」 母の頬に涙がこぼれ落ちました。十数年経ったいまでも忘れることができません。

ペンキ職人の母の手は、シンナーでボロボロ。ペンキだらけ

の作業服。参観日に母が来ることが、どうしても嫌だったのです。

なぜこんな仕事をしているのか母に聞くと、まっすぐ私の目を見て、「愛するお父さんから受け継いだ仕事だもん。どんな仕事も尊く、ペンキ屋に誇りを持ってるよ。職業に貴賎なし」

生きることの厳しさを感じた瞬間でした。

4歳のときに父が他界し、母は休みなく働き続けて、私を大学まで出してくれました。

いま私は、母と一緒に現場に出ています。母に弟子入りし、ペンキ職人を目指し始めました。原材料の高騰、深刻な資材不足など厳しい環境ですが、迷いはありません。

親の心子知らず、あの日の言動を反省すると同時に、寂しかった心を優しく抱きしめています。

孝行したいときに親は…いた。

<京都府> おとは さん (8歳)

学校に行くとき、オレンジのおじさんが

「おはよう。いってらっしゃい。」

と言ってくれる。

わたしは大きな声で

「いってきます。」

とあいさつをする。

じゅんちゃんが、マンションのベランダから手をふってくれる。声はきこえないけど、わたしも手をふってあいさ つをする。

学校から帰ってきたら、ホールのけいびいんさんが

「おかえり。」

とえがおで言ってくれる。わたしも

「ただいま。」

とえがおであいさつをする。

さんぱつやさんをのぞいて手をふると、

おじさんがお店の中から手をふってあいさつをしてくれ

る。

おまんじゅうやさんの前をとおると、おじさんが

「元気か?」

と声をかけてくれる。わたしも

「元気やで。おじちゃんも元気?」

とおしゃべりをする。

お家についたら、かぞくに

「ただいま。」

とあいさつをする。

みんなは 「おかえり。」 とだきしめてくれる。

あいさつっていいな。

心がほかほかするから。

<新潟県> めんつゆ さん (17歳)

「梅干しには全部ばれてしまうからね。」これは梅仕事をし

ている時の祖母の口ぐせである。私の祖母は、毎年初夏になると、梅仕事を始める。梅仕事とは、梅干しを作ること。私も祖母を見習い、5年生から梅仕事をやっている。熟れた梅を丁寧に洗い、塩でじっくり漬け、太陽の下で天日干しにする。その梅をシソとともにかめに入れ、ゆっくり時間をかけて、太陽のように真っ赤な色をつける。梅仕事は辛抱の繰り返しだ。そう簡単に結果は出ない。丁寧に丁寧に扱わねば梅に全てばれてしまう。自分の体調が悪いことも梅にはわかってしまう。そう祖母はいつも言う。それと同時に、「焦らず、じっくりゆっくり、瀲灔

と。」焦ってもいい色はつかない。いい塩梅の梅干しに漬けたいなら辛抱強く、急がないことも重要らしい。

どんなことも梅仕事と同じではないだろうか。焦らず丁寧に。これに尽きる。私は祖母から大切なことを梅とともに教わった。

イラスト:北村 人

1981年東京生まれ。東海大学教養学部卒業。神戸芸術工科大学 非常勤講師。

毎日新聞日曜版「新・心のサプリ」、星野源「そして生活は続く」などのイラストや 「おひさまでたよ」、「カシャッ!」などの絵本制作も手掛けるイラストレーター。