戦没兵士は、私の最愛の人でした――手紙が浮き彫りにする感動の人間ドラマを描いたノンフィクション『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』が本日発売!

「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』が本日発売!

保阪正康氏、佐藤優氏推薦! 沖縄戦、78年目の真実に迫る不朽の発掘実話

沖縄戦で、米軍から陣地奪還を果たした大隊がありました。しかし、奮戦むなしく兵士の約9割は戦死。「恥ずべきことは、自分が生き延びたこと」と、この大隊を率いた指揮官・伊東孝一(24歳・当時)は、終戦直後から部下の遺族に宛てて「詫び状」を送り続けます。「(夫は)肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」、「私は親として、彼の死を決して悲しみはしない」、「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」――。手紙を受け取った遺族らは伊東への返信に、それぞれ悲痛な想いの一片を書いて知らせました。

時は流れ、伊東から「遺族からの返信」の束を託されたジャーナリスト夫婦が、“送り主”へ手紙を返還するなかで目撃したものとは――。地道な取材を重ねて一つひとつ積み上げた「沖縄戦の真実」に光をあてる渾身のノンフィクション『ずっと、ずっと帰りを待っていました

「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』を2月15日に新潮社から刊行いたします。

■目次プロローグ 伊東大隊長への手紙第1章 戦いは強固な陣地づくりから――沖縄上陸と戦闘準備(1944年夏~45年4月中旬)「でも、どうして。あんなに早く」

後藤豊 准尉(享年33)第2章 陣地なき戦い――緒戦、西原・小波津の戦闘(1945年4月末)「姿は見えなくとも、夫はきっと生きている。私の心の中に」 田中幸八

上等兵(享年31、推定)「私は親として、彼の死を決して悲しみはしない」 山崎松男 上等兵(享年22、推定)

「敗戦によって思想的根拠を失い、長男を失い、言い表し得ぬ心情」 吉岡力 伍長(享年24)「幸いにして勇は、喜んで戦死致せしものと存じます」 奥谷勇

一等兵(生年月日は不明)第3章 嚙み合わない作戦指令――首里近郊一四六高地の戦闘(1945年5月初旬)「生キ残リテハ居ラヌカト、様子ノ有ルノヲ待ッテ居リマシタ」

横山貞男 一等兵 (享年34)「それは空しき生命だったとあきらめる道しかありません」 中村石太郎 軍曹(享年35)

「礎とは肩書きだけ、犬猫よりおとる有り様ではありませんか」 小早川秀雄 伍長(生年月日は不明)「復員軍人を見るにつけても、もしやと胸を轟かせた」 太田宅次郎

上等兵(享年34)第4章 死闘、また死闘――棚原高地の奪還作戦(1945年5月5~7日)「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」 今村勝

上等兵(享年33)「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」 倉田貫一 中尉(享年38)「新日本建設の基に、我が児の血により力強く染めた事と思い」 黒川勝雄

一等兵(享年21)「今は淋しく一人残され、自親もなく子供もなければ金もなく」 野勢勝蔵 上等兵(生年月日は不明)第5章

玉砕を覚悟――首里司令部近郊の守備~南部撤退(1945年5月中旬~5月末)「かねて覚悟と申しながら、何と申し述べることもできません」 高田鉄太郎

上等兵(生年月日は不明)「もしや、ひょっこりと帰ってきてはくれまいか等と思われて」 鈴木良作 上等兵(享年36)

「恥ずかしからぬ最期を遂げたる事を承り、父として何よりも安堵仕りました」 重田三郎 主計中尉(享年23、推定)第6章

最後の防衛線――糸満・国吉台の戦闘(1945年6月中旬)「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」 松倉秀郎 上等兵(享年35、推定)

「私のおしえをまもりましたのですから、けっしておしいとは思いません」 鈴木喜代治 上等兵(享年26、推定)「御貴書により、あきらめがつきました」 長内大太郎

上等兵(生年月日は不明)「愚息ニ付イテハ、イマダ生死不明デアリマスカラ」 工藤國雄 中尉(享年29)第7章

武装解除までの消耗戦――糸満・照屋の戦闘(1945年6月~8月末)「息子の想い出がこもった庭石を抱いて、泣き叫んでいた母」 佐々木高喜 軍曹(享年24)

「これからの世は、生きて居ても、さほど幸福でもありますまい」 阿子島基 一等兵(享年22)「息子の帰りを、一日千秋の思いで待って居りました」 金岩外吉

上等兵(享年21)「母として、確報を受けないうちは、若しやと思い」 多原春雄 伍長(享年25、推定)「白木の箱を開けると、石ころが一個。それだけだったのよ」

木川英明 上等兵(生年月日は不明)エピローグ 奇跡の帰還■推薦コメント保阪正康氏――死者は生者の中に生きる。世代がつなぐ昭和史の実像、ここに「歴史」がある。

佐藤優氏――「人間は信頼できる存在なのである」。数多の証言は、そう語りかけてくるようだ。■書籍内容紹介

「恥ずべきことは、自分が生き延びたこと」――終戦直後、沖縄に散った兵士の家族のもとに届けられた“詫び状”の送り主は、24歳で歩兵大隊を率いた青年将校だった。往復書簡が浮き彫りにする、感動の人間ドラマ。

■著者紹介浜田哲二(はまだ・てつじ)1962年、高知県出身。元朝日新聞社カメラマン。2010年に会社を早期退職後、

青森県の世界自然遺産・白神山地の麓にある深浦町へ移住し、フリーランスで活動中。沖縄県で20年以上、戦没者の遺骨収集と遺留品や遺族の手紙返還

を続けている。公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。浜田律子(はまだ・りつこ)1964年、岡山県出身。元読売新聞大阪本社記者。93年、結婚を機に退職後、

主婦業と並行してフリーランスで環境雑誌などに原稿を執筆。夫・哲二と共に沖縄県で遺骨収集と遺留品や遺族の手紙返還を続けている。■書籍データ

【タイトル】ずっと、ずっと帰りを待っていました/「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡【著者名】浜田哲二 浜田律子【発売日】2024年2月15日

【造本】四六判変形/ソフトカバー(272ページ)【定価】1,760円(税込)【ISBN】978-4-10-355551-3【URL】

https://www.shinchosha.co.jp/book/355551/

当リリースの詳細について

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001337.000047877.html

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